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心のページ |
| 全ての画像と文章の著作権は、著者である松平實胤と、寂光院、各文章のタイトル下に記載されている新聞社、出版元に帰属します。 |
| 2007年 | 7/27 | 亡き人との対話 |
| 2006年 | 7/16 | 欲から願(がん)へ |
| 2005年 | 4/23 | この矛盾的存在 |
| 8/1 | なぜ人を殺してはいけないのか |
| 6/30 | 一番大切なもの |
| ↑ | 5/20 | カネとキン |
| 2004年 | 4/1 | 輝いて生きる |
| 8/31 | 仏教徒の生き方 |
| 6/12 | 観音様の心 |
| 5/2 | 不殺生 |
| ↑ | 3/22 | おのれこそ |
| 2003年 | 3/14 | いかなる戦争も反対する! |
2007/07/27(金)亡き人との対話(真言宗智山派「生きる力 41」松平山主原稿より) |
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2006/07/16(日)欲から願(がん)へ(「**」より) |
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2005/04/23(土)この矛盾的存在(真言宗智山派発行「生きる力 **」松平山主原稿より) |
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2004/08/01(日)なぜ人を殺してはいけないのか(真言宗智山派発行「生きる力 29」松平山主原稿より) |
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2004/06/30(水)一番大切なもの(真言宗智山派発行「生きる力 28」松平山主原稿より) |
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2004/05/20(木)カネとキン(真言宗智山派発行「生きる力 27」松平山主原稿より) |
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2004/04/01(木)輝いて生きる(真言宗智山派発行「生きる力 26」松平山主原稿より) |
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2003/08/31(日)仏教徒の生き方(「千の手」36号 2003.8.9、「智山ジャーナル」26号) |
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今なぜ十善戒か?
十善戒がわが身を守る
十善戒の実践と挫折
十善戒と
人生は修行
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2003/06/12(木)観音様の心(「月刊中日懇話会報」283号 1999.3) |
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観音様のまなざし
慈悲ということ
では、その「慈悲の心」とは具体的にはどのような心であろうか。 |
2003/05/02(金)不殺生 ‐殺してはいけない‐(「中日新聞」2003.4.13) |
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正義の戦争なんてない
正義の戦争なんてない。殺しあいが正当化されること自体が悪である。
すべての者は暴力におびえている (法句経129) 立場を変えれば、あらゆる人も動物も、およそ生きとし生けるものはみな暴力におびえ、死をおそれている。 誰でも我が身が愛しい、我が子が可愛い。立場を変えれば、世界中の人がみな同じ思いのはずである。 私は刻一刻とイラクから報道されるテレビの映像をなすすべもなく傍観していた自分に気付いて仏教徒として情けなかった。 今はだた人道的な早期復興と平和の回復を祈るばかりである。 「やられたらやり返す」、この報道の連鎖はまさに人類始まって以来終わりを知らない。2001年9月11日の同時多発テロ以来、超大国は報復の鬼と化した。 釈尊は次のように説いておられる。
怨みに報いるに、怨みをもってすれば、ついに怨みの止むことなし (法句経5) この句を天台宗の最澄伝教大師は次のようにおっしゃっている。
怨みをもって怨みに報ぜば怨み止まず、徳をもって怨みに報ぜば怨み即ち尽く。 かつて折あるごとに幾度となく唱え、それなりに納得してきたこの経文も、いざその立場に立つと実行は極めて難しい。 「畜生!あの野郎……」とやり場のない怒りで幾日ものたうち回る。 幸いにも、時日のおかげで少しずつ冷静さを取り戻してくると、「忍」が「認」に変わってくる。 なぜ相手がこのような行動を起こしたか、自分が今迄相手に何をしてきたかに思いが巡る。 怨みを捨てるとは耐え忍ぶこと、それは決して泣き寝入りではない。 報復の感情に打ち勝ち、報復の連鎖を断ち切る勇気のことであろう。 「認」が「赦」に変われば次に、自分と相手の共生の道を模索し始めるのではないか。 自分さえよければという内にしか向かない目が、相手はどうかと外を向き始める。 まわりも幸せになってほしいと祈る気持ちに変われば、これを「徳」というのであろう。 釈尊はまた次のように説いておられる。
己こそ己のよるべ (法句経160) 「自分がしっかりしなくてどうする、人を頼るな」と主体的に生きることを願っておいでになる。 しかし、主体的に生きることと独善的に生きることは大違いである。 誰も一人では生きられない。お互いが支えあい、補いあい、天地自然に生かされて生きている。 この世にはいろんな人種、いろんな宗教、いろんな考え方がある。 お互いの存在を認めあい、お互いの違いをわきまえながら、この宇宙船地球号が無事航海できるようにと願って生きる、これがよく整えられた己の生き方であろう。 他人の意見には耳を貸さず、誰とも協調できず、好戦的に我が意をごり押しするのは、ひとりよがり、独善的であり、糾弾されるべきである。 一方、自分の意見も持たず、是非善悪の立場も明確にできず、ただやみくもに独善者に追従するのは同罪と言っていい。 また釈尊は次のように説かれる。
満足は最上の財産(たから) (法句経204) 正義の戦争なんてない。 どれほど正義を唱えようと、戦争は飽くなき己の利権のためである。 足るを知る「知足」と「信頼」こそ、宇宙船地球号が心安らぐ安全な航海を続けるのに必要なキーワードであろう。 |
2003/03/22(土)おのれこそ(「中日新聞」2002.12.29) |
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見失った良心、自己、家庭 取り戻そう
とにかく便利な時代になった。 |
2003/03/14(金)いかなる戦争も反対する!(「法句経」より) |
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《不殺生戒》
すべてのものは暴力に脅えている 法句経129 《怨念》
怨みを以って怨みに報ぜば怨み止まず 法句経5番 《自灯明》
己こそ己のよるべ、 法句経160 《幸福》
健康は最上の利益(めぐみ) 法句経204 |